No.47

はなてば手にみてり
『正法眼蔵』

進むべき道は大きな河に阻まれ、こちらの岸は崩れかかって危険で恐ろしく、対岸に行くのに橋も船もない。泳いで渡ろうとした者は、溺れ流されて命を失った。そこで人々は苦労していかだを作り、安全に河を渡った。 渡り終わって人々は云った。
「このいかだは、実に役にたった。このいかだが無ければ死んでいたかも知れない。せっかく苦労して作ったのだから、肩に担いで持っていこう」
一行は重いいかだを担いで旅を続けた。
「金剛般若経より いかだのたとえ」


お釈迦様は「こだわりを捨てよ」と『いかだのたとえ』をお示しになられました。いかに役立つ知識も経験も、捨てなければならない時があります。大切だと思い込んで手放さずにいると、逆に悩みや苦しみの原因に変わってしまいます。

お釈迦様は先のたとえ話に続けて、次のように人々に語りかけます。 「いかだを担いで行く事は、そのいかだに対して有り難かったと思っているのだろうけれども、本当にそうすべき事なのだろうか。真に有り難いと思うのならば、いかだは捨てるべきである。私はこのように、救い渡されるように、執着しないようにとこの譬えの法を説いたのである。実にこのいかだの譬えの知っているあなた達によって、仏法もまた捨てられるべきである。さらにいえば、仏法以外のものは言わずもがなである。」 真実を求め、悟りを得るためには「仏法も捨てさるべきである」とお釈迦様は、自身の教えにもこだわってはならないことをお示しになられたのです。

多くの人は無意識に「こだわり」の中に生きてしまっています。勿論、「違いが判る」とむしろ「こだわる」ことにシッカリとした価値観を見出し、その「こだわり」に幸せを感じる人は良いでしょう。しかし、その「こだわり」に振り回され、苦しみの原因となるのであれば、それを捨て去ることが苦からの開放なのだと、お釈迦様は導いておられるのです。

後生大事とこだわり握りしめている掌を開けば、全てのものに触れる事ができます。「はなてば手にみてり」道元禅師のこの一句も、真実を求めるうえでこだわりを捨てる事の大事さを説いたものといえるでしょう。


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