おじいちゃんの鎌倉

風の道・・・つれづれに・・・



第16回 おじいちゃんの鎌倉

 一期一会という言葉がある。ただ一度の出会いというものがある。
  私たちは、その出会いを大切にしなければならない。

 十四歳の夏のことである。祖母のお兄さん、私からすればやや遠くなる血筋のおじいちやんになるが、そのおじいちやんが鎌倉に住んでいた。以前から「孫を連れて一度遊びにおいで」と父は言われていたのだが、なかなか時間がとれず、ようやくその夏に実現したのだ。

 待ち合わせは、浅草雷門の前でだった。おじいちやんはすでに八十近くなっていたが、本の装丁をてがける会社の現役の社長さんだった。会社が浅草にあったので、待ち合わせは浅草寺の門前で、ということになったのである。

 八月も末のことだったから、重たいうだるような暑さの中、白いぱりっとしたシャツに、グレイのスラックスという出で立ちで、小柄なおじいちやんは現われた。とても颯爽としていた。扇子で涼をとりながら「やぁ、こんにちは」と私た兄弟三人に声をかけてくれた。

 それから、地下鉄・横須賀線と乗り継ぎ、大船駅に着く。そこから、湘南モノレールで、海岸へ向かった。夏の終わりのせいか、盛夏には人熱れで息がつまりそうになる湘南海岸も、割に静かだった。

 江ノ島を沖に見ながら、小一時間海で遊んだ。砂浜の方を見ると、両親と一緒に、おじいちやんは私たちを、やはり笑顔で見ていてくれた。

 おじいちやんの住まいは、西鎌倉にあった。湘南モノレール西鎌倉駅に降り立つ。家は坂道の上にあった。

 夕食の時間はとても楽しかった。本好きの私は、書籍関係の仕事をしているおじいちゃんと話がとてもあった。十代半ばの、生意気盛りの私は、随分と背伸びをし、青臭いことをおじいちやんに言っていたように思う。 でも、おじいちやんはやさしく私の言葉をうけとってくれた。

 おじいちやんは、それより数年前に大病をしていた。私たちに、自分の胸を指でさしながら、「ここにね、機械が入っているんだよ」 と、むしろ明るく静かに語ったのを、息を飲んで聞いた。かたわらで奥さんがほほえんでいた。

 夕食が終わって、庭にでた。庭はよく手入れされた日本庭園だった。鎌倉の郊外の坂の上だったので、鎌倉の夜景がきれいに眺められた。池の水の音を聞きながら、みんなでその風景にしばらく見入っていた。

 明くる日、十時頃に辞去した。坂道を下りながら振り返ると、おじいちゃんと奥さんが、並んで手を振っていた。互いに見えなくなるまで、手を振り合っていた。  私は、おじいちやんが好きになれそうだった。「また、遊びにおいで」というおじいちやんの言葉に甘えて、たくさんたくさん遊びにいって、もっともっと仲良くなろうと思った。

 しかし、それは実現されなかった。

 翌年の春に、おじいちやんは帰らぬ人となる。淡々と胸を指さしていたおじいちやんの姿が思い出された。お葬式には行かなかった。

 それから、鎌倉は私にとって、特別な街になった。あの夏の静謐な記憶と、お葬式に行かなかった苦い思い(学校があったからだがしかし、強い意志があれば参列できたはずである)が混じり合った空気を、私は鎌倉にかぶせた。

 辛いことがあったとき、ちょっと元気がないときに、私は一人でよく鎌倉にでかける。源氏山の桜、東慶寺の梅、明月院の紫陽花、報国寺の竹、瑞泉寺へと到る静かな道、稲村ケ崎の波涛、鎌倉文学館の瀟酒。それぞれの風景が、私の心をなこませてくれる。 そこにはいつも同じ風が吹いている。

 私の鎌倉はいつまでも、おじいちやんの鎌倉である。


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