No.46

仏法もし実なるには、画餅すなわち実なるべし
「正法眼蔵 画餅」

 一般に「絵に描いた餅」といえば、飢えを満たすことが出来ず、役に立たないものの代名詞とされます。実際、いくら美味しそうな料理の写真や絵を見ても、自分のお腹が一杯になるわけではありません。 しかし、道元禅師は「そうではない、絵に描いた餅こそが大事なのだ」と云われます。

 お餅を作ろうとする時、ただお餅をつくだけでなく、四角いお餅にしようか丸餅にするか、あんこ餅かそれとも黄な粉餅かなどのように、出来上がりのおいしさを想像するでしょう。さまざまにイメージを膨らませてお餅の絵を描けば、お餅の出来あがりはどんどん変わります。そして豊かな想像のなかで描かれた餅は、調理という行為を経て現実の餅になります。

 美味しいお餅を食べたいと思い、そのお餅を描くという行為そのことが、実は餅を作ることなのであると示されたのです。 ここに挙げた句は、道元禅師が著された『正法眼蔵』「画餅(がびょう)」の巻の、「もし画は実にあらずといはば、万法みな実にあらず、万法みな実にあらずば、仏法も実にあらず、仏法もし実なるには、画餅すなわち実なるべし」という一節です。

 さらに「仏さまを画く時には墨や絵具のみで画くのではなく、よきお姿や長年にわたる善行の積み重ねを用いることにより、初めて仏さまを仏さまとして画けるのであり、総ての諸々の仏様はみな画かれた仏さまである。そのため画仏と画餅は同じなのである」と続きます。

 現在の日本は、バブル経済崩壊によってあきらめと絶望に支配されているように感じます。しかしそんな時代にあっても、メジャーリーグに挑戦する野球選手や、ヨーロッパ各国のサッカーチームに活躍の場を求めて海を渡る日本人の姿があります。そして実際に成功を収めている選手たちもいます。彼らはいったい何を求めて日本を飛び出したのでしょうか。お金でしょうか?名誉でしょうか?

 それぞれで求めるものは違うのでしょうが、楽しそうにプレーする彼らを見ていると、それ以外の何かを求め、旅立っていったように思えます。 「より上手になりたい」「より強くなりたい」と思い、将来の自分を想像し描き、その想像図にむかってあきらめずに努力し続けたことで、それぞれの夢を手に入れる事ができたのでしょう。

 自らの将来や家族の事、さらには子供たちの未来の事を想像し、今何をすべきなのか何をせざるべきなのかを、穏やかな気持ちでゆっくり考えて描いてみませんか。 きっと皆様の思い描いた良きお餅が、やがては現実のものとなることでしょう。


解説
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