No.25

別れても 我が逝く先きは他になし
祖師の御山の 雪のふるさと

 暑い、暑いという言葉を毎日繰り返してきた今年の夏も終わり、セミの鳴く声からだんだん秋の虫に鳴く声も変わってきました。 仏教行事も、この間、お盆でお参りをしたと思ったら、早いもので季節も変わり、秋のお彼岸がまいります。墓地で、お仏壇で手を合わせ御先祖様にお参りすることが続きます。

 こんな時ふと、人は死んでしまったらどこへ行ってしまうのだろうか、こんなことを考えることはありませんか。これは誰もが抱く素朴な疑問です。 私達は我が家というものがあり、外出しても戻ってくる家があります。それでは故人はどうなのでしょうか。涅槃の道へ旅だったら行ったきりでもう戻ってこない、普通はこのように思うのが当然のことと思います。

 しかし熊沢禅師は、この句のように住み慣れた永平寺の山、言うならば我が家、愛すべき家族のいるところに戻りたい、または戻ってくると考えています。これは、祖師である道元禅師を慕う強い思いがあるからに他なりません。 しかし、この思いは何も熊沢禅師に限ったことではありません。皆さんの亡き故人の方々もそれぞれに戻るべきふるさとである家族の下へ、帰りたいと願っているはずです。その時は故人としてではなく、仏様として皆さんのそばに居ると言うことではないでしょうか。

 だから残された家族が悲しい思いをしていれば仏様も悲しい思いをし、皆が明るく仲良く楽しい一日を過ごしていれば安心される訳です。 このように考えますと、残された家族の皆様の日常生活がそのまま仏様を安心させる供養になる訳です。

 これからも一日、一日を大事に仲良く過ごしましょう。


解説
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