No.25

 この詩を詠まれた熊沢泰禅禅師は、明治六年に愛知県に生まれ、各地で修行の後、曹洞宗大学林・京都浄土宗大学等で学ばれ、曹洞宗大学林の教授になられました。そして、永平寺の後堂・監院という重要な役職を務められ、昭和一九年に永平寺七十三世の貫首となり、その後二十五年間に亘り永平寺の発展と弟子の育成に務められたのです。

 つまり「祖師のお山」とは長年住み慣れた永平寺であり、亡くなられた後も永平寺において、道元禅師の下で修行僧と共に修行に励みたいと願っていたのです。


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