修證義(シュショウギ)
第1章(総序-後半)
今の世に因果を知らず、業報(ゴッポウ)を明らめず、三世(サンゼ)を知らず
善悪を弁(ワキ)まえざる邪見の党侶(トモガラ)には群すべからず、
大凡(オオヨソ)因果の道理歴然(レキネン)として私なし、
造悪(ゾウアク)の者は堕ち、修善(シュゼン)の者は陞(ノボ)る、
毫釐(ゴウリ)もたがわざるなり。
若し因果亡(ボウジテ)虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、
祖師の西来(セイライ)あるべからず。
善悪の報(ホウ)に三時(サンジ)あり、
一者(ヒトツニハ)順現報受(ホウジュ)、
二者(フタツニハ)順次生受(ショウジュ)
三者(ミツニハ)順後次受(ジジュ)、これを三時という、
仏祖の道を修習(シュジュウ)するには、
其の最初よりこの三時の業報(ゴッポウ)の理を効(ナラ)い験(アキ)らむるなり、
爾(シカ)あらざれば多く錯(アヤマ)りて邪見(ジャケン)に堕つるなり。
但(タダ)邪見に堕つるのみに非(アラ)ず、悪道に堕ちて長時(チョウジ)の苦を受く。
当に知るべし
今生(コンジョウ)の我身(ワガミ)二つ無し、
三つ無し、
徒(イタズ)らに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得(カントク)せん
惜(オシ)からざらめや、悪を造りながら悪に非(アラ)ずと思い、
悪の報(ホウ)あるべからずと邪思惟(ジャシユイ)するに依りて
悪の報を感得(カントク)せざるには非(アラ)ず。
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