いま、いまと・・・

風の道・・・つれづれに・・・



第15回 いま、いまと・・・

 このような歌を教わったことがある。

 いまいまといまといふとき いまぞなく
 いまといふとき いまぞさりゆく

 今「いま」といった時、その「いま」はもうない。瞬時に飛び去ってしまっている。「いま」はつかまえることができない。そして もう二度ともどってこない。

 この「いま」を、曹洞宗の開祖道元禅師は「而今」と言った。私たちはこの「而今」の連続を生きている。  古い仏教の教典にこのような詩がある。「一夜賢者の偈」というものである。「偈」とは詩のことである。

「一夜賢者の偈」

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
(中略)
ただきょうまさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
遭わずということは、あることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜怠ることなく実践せん
かくのこときを、一夜賢者といい
また、こころ静まれるとはいうなり

 

 私は、これを読むとほっとする。そしてまた、心がひきしまる。
 あれこれと未来のことを思い悩み、少しく落ち込んだりしている時は、「未来、そはいまだ到らざるなり」という言葉が、ことのほか心に響くのである。

 あなたは今未来のことで思い悩んでいるが、未来はまだ存在しないのだ。その不安は、あなたの心がつくりだしているのだよ、とやさしく諭してくれる。

 そしてまた、「過去そはすでに捨てられたり」という句は、私の気持ちを引き締めてくれる。過去、ああすればよかった、こうしていればこんなことにはならなかった、とくよくよしている時、過去はもうもどってこないのだよと、そんな思いから引き離してくれる。

 いや、過去は存在するのである。今の私という存在そのものに。過去の営為の集積が現在の自分なのである。その今の自分をしっかり と引き受けて、「ただ今日まさに作すべきことを熱心になす」のである。

 この消息を、二宮尊徳翁のものと聞いているこの歌がわかりやすくあらわしてくれていると思う。

この秋は 雨か嵐かは知らねども
今日のつとめに 田草とるなり

 

 


※補注 文末の歌については、二宮尊徳翁作ではないとする説もあります。


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