曹洞宗 貞昌院 Teishoin Temple, Yokohama, Japan
4年前の夏、京都に行った。京都はその時3度目だったが、それまでの2回の旅で、あの教科書にも載っている広隆寺の弥勒菩薩像を見る機会に恵まれなかった。
弥勒菩薩は、数々の書籍や写真集にその姿を現していて、あまりに見慣れてしまったせいか、恋焦がれるというほどではなかった。どれ、写真の主を確認してこようか、という風な心持だった。
だから、あの夏の朝、広隆寺を訪れたときも、観光の1スポットに立ち寄るという感覚だった。
しかし、いざ弥勒様を目の前にした私は、すぐに参ってしまったのである。やわらかな、透明な艶というものが漂っていて、まるで自分が溶けてしまうようだった。
角度を変えて何度も何度も、そのお顔を拝した。ああ、この細い指を盗っていってしまった人がいるのも、無理もないかもしれないな、と思った。(もちろんいけないことではあるが)
そしてひとつの詩ができた。
夏の朝 - 広隆寺の弥勒菩薩ただ
言葉を失い
みつめたまま
私という存在が
優しくなっていく
夏の朝