曹洞宗 貞昌院 Teishoin Temple, Yokohama, Japan
「良夜」とは、秋の満月の夜のことをいう。鈴虫の声が響く空間に、青くやさしい光が満ち、えもいわれぬ情緒が漂う。
しかし、満月はいつまでもそのままではない。月は刻々と姿を変えていく。漆黒の新月から、三日月、上弦の月、満月へと自らの姿を変え、そしてまた満月から、下弦の月、三日月、新月へと、再び漆黒に回帰していく。 それは、まるで、私たちの生きる道筋をあらわしているかのようである。
生まれ、成長し、生の充足感に満ち、老い、病んで、死んでいく私たちの生命の歩みを、月は夜空に描いているのだ。 生老病死の苦しみからの解脱を説いた釈尊がさとりを開いたのが、満月の夜であったという。象徴的なことである。
生老病死は、私たちの生の事実である。それを避けるのではなく、むしろ生老病死に従い、それをハタラキとして享受していくことを、釈尊は示したのである。
月は姿を変えていくが、それを少しも悲しむことなく、いつも同じ明るさで私たちを照らしているではないか。 そして、私たちも月のように、従容と悲しむことなく生老病死を受け容れ、同じ心持ちで生きたいものである。
秋の良夜、夜空を見上げてみよう。きっと満月が、青くやさしい光で、あなたを包むに違いないのである。