曹洞宗 貞昌院 Teishoin Temple, Yokohama, Japan
冬の寒気の中に、ほのかに暖かさが感じられる頃、枯れ野の土の中から一斉に、草の根が萌え出てくる。 これを、春の季語で「下萌」という。この下萌を織り込んだ句を、星野立子という俳人がつくっている。
下萌えて土中に楽のおこりたる
草の根が萌え出て、土の中に音楽が奏でられはじめている、という意になるだろう。
土の中におこった音楽とはいったいどんなものだろう。それはいのちの音楽ではないだろうか。
誰が指図をするわけでもないのに、草の芽は春という季節に恋をしたかのように、一斉に土の中から顔を出す。いのちのリズムのままに、草は春を迎えるのだ。 わたしたちのいのちのリズムとはなんだろう。
それは、心臓のリズムに違いない。人間は、母の胎内で微生物から魚、両生類・爬虫類、それから哺乳類と、四十億年のいのちの歴史を復習する。その復習の過程を絶えず包んでいるのが「心臓の鼓動」なのだ。
今ここで、自分の心臓の音に耳を澄ませてみよう。私たちは自分の力だけで生きているのではない。この四十億年のいのちのリズムによって生かされているのである。母親の胸に耳を押し当てて、安心したようにすやすやと眠る子どもたちは、それを忘れていないのだ。
そしてきっと、それは草の芽を芽吹かせるリズムと同じものなのである。
下萌の風景のもつ暖かさは、いのちの暖かさだ。私たちもそれに身を任せてみよう。