曹洞宗 貞昌院 Teishoin Temple, Yokohama, Japan
棚経というのは、毎年のお盆の三日間、それぞれの家の仏壇に帰っているご先祖さまに、私たち坊さんがお経をあげに家々を廻る慣習をいう。
それぞれのお檀家さんのお宅で、私たちを待ってくれているのは、大概お年寄りである。若い人たちは、時節柄何処へか出かけている。まあそれを止める必要もない。
私は、師匠の方針で、小学生の時分から師匠と一緒に回り始めた。習いたてのお経を懸命によんだ後の、ジュースとケーキがひたすら楽しみだった。お檀家さんも、小さいながらに僧形である私をみて、とてもほめてくれたので、年々楽しくなっていった。 しかし、師匠はいつまでも庇護においていなかった。中学に入学した年の夏、私をたった一人で棚経に送り出したのである。
困ったのは会話である。お経はそれまでの経験があるので何とかなったのだが、年端もいかぬ十三の少年と、人生の酸いも甘いもかみ分けた八十過ぎのおじいさん・おばあさんの間にどんな会話が生じるというのだろう。
自然、天気の話になった。
「ホントにこのところ暑いですね」
「そうだねえ、体がまいっちゃうよ」
「いいかげんおしめりがほしいですよね。畑の白菜も干上がっちゃいますね」
ちなみに、おしめりと白菜の話題をだしているのが、私である。なんたる中学生。今の私がみたら、はり倒してやりたくなるような子どもである。
でも、これが私という人間の骨格の、大きな一本を形成しているのは事実である。
お年寄りの口から発せられる重い言葉、笑ってしまうような話、静かな言葉。家を辞去した後、夜の帷の遠くから聞こえてくる盆踊りの太鼓や笛の音。
それらのたくさんの出来事を、これから折にふれ記していきたい。
今日の所はこれまで。